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よみタイム 2019年12月20日 年末年始特大号
マンハッタン ブロードキャスティング(1989年 日経通信社)
テレビ朝日・在米キャスターとして、日本に“アメリカ”を伝え続けた「ニューヨークの顔」。現在『内田忠男モーニングショー』で人気の著者が綴る、初めてのエッセイ集。


世紀末の日本と世界(1996年 近代文芸社)
これが世紀末現象か!?テレビ朝日・ニューヨーク駐在キャスターとして活躍中の著者が語る、世界から見た日本の真実の姿。
国際ビジネスの基礎知識百科(1989年 主婦と生活社 = 監修)
週刊TVガイド「げんこつコラム」連載 (1990.6.30~1993.4.16)
週刊現代コラム「MEDIA WATCHING」 (1991年6月〜12月)
三田評論 巻頭コラム「丘の上」連載 (2000年7月号〜12月号)
週刊NY生活2019年新年号
「アメリカという国家の品位・品性・品格が問われている」
週刊NY生活2018年新年号
「政治」抜き「政局」だけの日本 政治家もメディアも落第・・・
明治維新150年(よみタイム新年号)
 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
 今年は明治維新から150年。私が成人に達した頃、日清日露の戦役や関東大震災、515事件や226事件が遠い昔の出来事に思えた感覚からすれば、現代の若い人たちが、敗戦の日や独立の回復、東京五輪、大阪万博、札幌冬季五輪…さらには冷戦終結やバブル経済とその崩壊まで、身近に感じていないのも当然と思います。150年の半分以上を生き、敗戦後の出来事を生身の人間の目と耳で体験してきた私たちは、語り部としての責務を負っていると感じます。それを果たすべく、もう一踏ん張りしようと思います。
 皆さまのご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

 前文は、私が日本で差し出した2018年の賀状の文面である。
 これにある通り、私にとって敗戦後70余年の間に起きた出来事は全て自らの体験の中にあり、とても身近なものなのだが、いま私が接している学生たちには遠い遠い昔の出来事に過ぎず、「エッ、日本はアメリカと戦争したんですか?」という問いや、パールハーバーってどこにある? という問いかけに「三重県」と答えられて面食らう場面が日常化している。
 だが、この機会にこの150年の来し方を振り返ると、実にさまざまなことが起き、日本中が目まぐるしく動いてきたことを改めて感ずるのだ。
 明治維新当時の日本は、ペリー提督による開国から14年を経てはいたが、大多数の民衆の心は、徳川250有余年にわたる太平の夢にドップリと浸っていた。文明開化、富国強兵、殖産興業の掛け声が叫ばれていたとは言え、人々の直感にこうしたスローガンが根付いていたとは思えない。が、その維新から17年後には、ほぼ現在に近い内閣制度ができ、その4年後には憲法が発布された。=大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス=という1条で始まるこの憲法は、当時として世界の先端をゆく見事な内容で、むろん東洋では初めての成文憲法であった。
 第1章天皇に続いて、第2章では臣民の権利義務、第3章で帝国議会、第4章で国務大臣及枢密顧問、第5章司法と続く条文は、急速な近代化に進む新興国家の姿を鮮やかに表わしていた。
 それから5年後、日本は清国と戦い、さらにその10年後にはロシアに戦を挑んだ。当時の国際社会では、清国もロシア帝国もあまねく認知された大国である。その大国に、新発足して間がない極東の隅っこの小さな島国がまともに戦争を仕掛けるなど、常識を外れた無暴以外の何物でもなかった。しかし、圧倒的な予想を覆して、日本は、この二つの戦で完勝する。台湾と周辺諸島、樺太(現サハリン)の南半分を手中に収め、朝鮮半島への優越権と南満州など中国大陸への足がかりを得た。
 朝鮮は間もなく併合され、1914年に欧州で勃発した第一次世界大戦には日英同盟により連合国側として参戦、ドイツが実質支配していた山東半島や南洋諸島の統治権まで手に入れる。講和のためのパリ講和会議には戦勝5大国の一角を占めて参加した。これがまさに維新50周年の年である。
 倒幕による新政府の樹立を画策した坂本龍馬や西郷隆盛といえども、これほど短期に、彼らがその植民地となることを最も恐れた列強諸国に伍する地位を獲得するとは予測だにしなかったであろう。
 しかし、その後は、束の間の大正デモクラシーを経て、軍国への道を突進する。
 自作自演の満州事変で満州国という傀儡国家を作り、その経緯をつぶさに調査して必ずしも反日とは言い切れなかったリットン報告書を拒絶、常任理事国の地位を占めていた国際連盟を脱退する。国内では数次に及ぶ流血の事件を挟んで政党政治が命脈を絶たれ、陸軍首脳を中心とする軍部内閣が横暴の限りを尽くすようになり、1937年には日中全面戦争——。
 思い上がりの果てに待っていたのは、国際社会からの強い反発、とりわけアメリカの拒否反応だった。鉄屑や石油をはじめとする戦略物資の禁輸など、強力な対日制裁に直面した挙句は、米英蘭への宣戦布告であり、緒戦こそ現在のASEAN諸国の全領土を占領する版図を築いたが、所詮成り上がりの末路はあっけなく、厳しいものだった。
 1945年8月15日の玉音放送を私はよく憶えている。無条件降伏に反対する軍部の妨害であったろう、激しい雑音の奥から途切れ途切れに聞こえてくる天皇の肉声を、私は「随分と甲高い声のお方だな」と思った。
 維新から77年の歳月を経て、日本の都市という都市はすべからくアメリカの焦土作戦で焼き払われ、無一物同然になった。ところが、この危機の中で日本の常軌を逸した変身が現実になる。
 「鬼畜米英を一億火の玉となって葬る」ために玉砕を呼号していた軍部が退場すると、国内の世論は掌返して「平和日本、民主日本、新日本建設」に豹変した。軍部の言いなりでしかなかった官僚機構が、占領軍への忠誠に宗旨替えして急速な戦災復興に歩み出す。有史以来、経験したことのない「占領」という現実も、さほど苦痛にしなかった。
 1951年9月、サンフランシスコで開かれた対日講和会議を、私は小学校6年生という幼さなりに刮目して見ていた。翌年の独立回復、敗戦の日にも味わった一種の解放感が、今度は本物として実感された。
 1962年に大学を出て新聞社に就職した頃には、戦災の跡はほぼ一掃され、日本は来るべき高度経済成長の庭先にいた。敗戦から20年目に開かれた東京五輪の開会式を、私は国立競技場の国際記者席で見ていた。平和の祭典、生まれ変わった日本の姿を世界に見てもらう式典は、華麗に厳かに瑕疵もなく運ばれて行った。幕を閉じた瞬間、私の席の両隣にいたスウェーデンとニュージーランドの記者が同時に手を差し伸べてきた。「Congratulations!」「Thank you so much!」
 握り返したその手には私の涙が落ちていた。
 それから6年後、大阪での日本万国博、さらに2年後の札幌冬季五輪も私は間近に取材した。この3大行事こそ、新たに生まれ変わった日本を世界に発信する国家的行事だった。
 この間、1968年には、日本は経済規模でアメリカに次ぐ世界第二の経済大国になった。2009年に中国に追い越されるまで、それは日本の国際社会におけるアイデンティティでもあった。
 洪水のような日本製品の輸出が、さまざまな日米摩擦を生んだ時期もあった。日本企業は生産基地をアメリカに進出させることで非難の矛先をかわした。やがてアメリカの経済学者がJapan as No.1 という本まで出版する。日本の経済界に「もうアメリカから学ぶものはない」——既視感を漂わす思い上がりの風潮が見えてきた頃、アメリカは英独仏と図って日本の円を狙い撃ちにしたプラザ合意を制作演出し、円はたった2年で倍の価値になった。日本経済の先行きを過度に懸念した日銀の金融緩和政策で、空前の規模の円がバラまかれ、それがバブル経済を呼んだ。
 そのバブルが弾けたのと時を同じくしてグローバル化の大波が押し寄せる。市場原理は競争原理だ。かつての高度成長の促進剤となった終身雇用制、労使協調、企業のグループ化、国による産業政策など、日本モデルはあげて競争阻害要因として指弾され、日本は官民共に行く手の見えない苦難の時期に入る…こうした経緯の大半を、私は太平洋のこちら側、アメリカから凝視し続けた。
 思えば、長いようでアッという間の時の流れでもあった。
 世界に覇権を求める習近平政権の中国が、いま新たな波紋を呼ぼうとしている。その対極にいるのが、いまの大統領で大丈夫なのか?
 複雑な思いの中で、明治維新から150年の年が明けようとしている。
さらばクリントン(ズ)不毛の選挙 驚愕の結果が残した唯一の得 (よみタイム新年号 2016年最終号)
Such a nasty woman.
記憶している読者もおられるに違いない。これは、罵り合いとまで言われた大統領候補同士のテレビ討論の中で、ドナルド・トランプがヒラリー・クリントンの顔に投げつけるように言い放った言葉だった。
「ホントにイヤな女だよ」
トランプに、この言葉を放つ資格があったかどうかは別にして、まさに「言い得て妙」の表現と感じ、記憶に残った。
私は、かつて大統領を務めた夫のビルを含めて、クリントン夫妻が徹底して好きでなかった。政治信条の問題ではない。彼らの言動から挙措動作に至るまで、ウソっぽい、信用出来ない、油断がならない、…もっと安っぽい言葉で言えば、いけ好かない…。好きになれない、と言うより嫌いだったし、今日に至るも大嫌いである。
その根源をさかのぼれば、かなり古いことになる。
1988年、アトランタで開かれた民主党全国大会。レーガン政権の2期8年が終わりに近づいて、次の大統領を選ぶ選挙の年だった。
共和党候補は現職のブッシュ副大統領が問題なく決まり、民主党はマサチューセッツ州知事だったマイケル・デュカキスを指名した。その大会初日、基調演説に立ったのがアーカンソー州知事だったビル・クリントンだった。42歳になる直前の若さ、颯爽と登壇した時まで、私に嫌悪の感情がある筈もなかった。しかし、その演説が始まって時間が経過するにつれ、不快感が広がって行った。演説に中身がない、修辞法も極めて通俗的で輝きがない…何よりも長過ぎたのである。冗漫冗長で空疎なのに壇上の本人だけが得意然としている。こういう政治家にロクなものがいないのは、ジャーナリズムに長く身を置いて来た経験から明白だった。その時から私はビルが嫌いになった。
そのビルが、驚いたことに次の92年選挙では民主党の指名候補となった。
例によってウソっぽい言葉の羅列で共和党の現職大統領(父ブッシュ)をこき下ろし、ロス・ペローという右派候補が共和党票をさらってくれたお陰もあって、アレヨアレヨと言う間に当選してしまった。
「これはしたり」英語で言えば Oh my goodness, Damn!
実はこの選挙自体、私は東京で仕事をしていてじかには見ていなかったのだが、折々にもたらされる情報で危機は感じていたから、結果に驚きはしなかったが、不快感は隠せなかった。そして、その予感は直ぐに的中する。
選挙戦の最中から、ビルにまつわる不倫疑惑や、夫婦揃ってのカネの疑惑と言うべきホワイトウォーター・スキャンダルなど、囁かれていたのだが、その火消しに登場したのが、腕利きの弁護士、頭の切れる女性という売り込みのヒラリーだった。その発言がまた終始ウソっぽい…。さらに、ビルの選挙公約だった医療保険を全国民に普及する政策の実現にあたって、責任者に指名されたのがヒラリーだった。
ファーストレディとして、前代未聞の出しゃばりぶり…だが、その国民皆保険案は、日の目を見た途端に連邦議会の猛烈な指弾を受けて廃案となる。案の定、ロクなものではなかった。
ビルはビルで、大統領就任1年目の夏、パレスチナ和平のための「オスロ合意」が成立すると、抜く手も見せぬ早業でイスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構のアラファト議長をワシントンに呼び寄せ、自分の手柄のように振る舞いながら、この両者に歴史的握手をさせて見せたのである。
「オスロ合意」というのは、ノルウエー外務省が、周到な準備と長い時間をかけて、水面下でイスラエル、パレスチナ双方と接触しながら、パレスチナ側には、イスラエル国家を認めさせ、イスラエルには、パレスチナ国家創設のために、まずアラブ系パレスチナ人の暫定自治を認めさせることを漸く納得させたのだった。まさに、ノルウエー外務省のチエとアセと忍耐の所産だったのだが、その成果を全世界に発信する段になって、丸ごとクリントンに横取りされたのである。
私は、その抜け目のなさより、天も恐れぬ狡猾さと身も世もない利己的行為に吐き気を催すほどの不快感を抱いた。
ビルの施政については、これ以上、多くを語るまい。ただ、任期後半には、ホワイトハウスに研修に来ていたモニカ・ルインスキーという若い女性を、あろうことか自らの執務室に引っぱりこみ、表現するもおぞましい性的行為をしていたことが発覚、他の疑惑とも相俟って弾劾の瀬戸際まで追い込まれた。
その間、ヒラリーは、唾棄すべき夫の行状にも、公式には反応しなかった。その代わりに、夫がまだ大統領職にあった2000年にNY州から上院選に名乗りを上げた。
ヒラリーの産地はシカゴであって、ロースクールはイェール。そこでビルと出会い、アーカンソーのファーストレディになったのだから、NYとは何の縁もない。恐らくは「将来、私が大統領になる」との野心に向け、「NYでセネターをすればハクがつく」と考えたのであろう。
上院議員から、2008年大統領選の民主党予備選でバラク・オバマに敗れ、その後、国務長官の要職に上る。
ビルの大統領辞任後は、ほとんど一つ屋根の下で眠ることはなかったのではないか。ただ、夫婦とも、カネには相変わらず貪欲だった。慈善団体と称するクリントン財団を立ち上げ、そこへの多額の寄付と、夫妻それぞれが出向くケタ外れに高額の講演、それに対する有形無形の見返り…この3拍子で資産はみるみる膨張して行った。
細工は流々、仕上げをご覧じろ…着々と野心に向けて実績を重ね、ほとんど実現する筈だった。11月8日、開票作業が進むまで、ヒラリー自身、自分の勝利を疑っていなかったであろう。
しかし、戦いに敗れた。
敗因は、と言えば、彼女自身とクリントンズへの不信の厚さと重みに潰されたと言うしかなかろう。不徳のなせる業である。
むろん私に、粗野で下品で無知性で、それでいて尊大傲慢なドナルド・トランプの大統領就任を喜ぶ気持ちはサラサラない。だが、唯一晴れ晴れするのは、あのクリントンズに、今度こそ別れが告げられるであろうことである。(敬称略)
日本最新事情 日本はどこへ向かうのか・・・ 「想像」と「創造」する力を(よみタイム2016,9,2号)
日本の敗戦から71年の夏が終わりに近づいている。
今年、日本は主要国首脳会議G7の議長国で、7ヵ国と欧州連合首脳が集うサミットが、まだ初夏の空気漂う5月26日と27日の両日、三重県志摩市にある賢島で開かれた。
名古屋からは直線で100キロ余り。風光明媚という言葉はココのためにあるのでは、と思えるほどの景勝地だ。日本にとっては、真珠養殖発祥の地とも言える。戦前は生糸と並ぶ高級輸出品の柱となった商品、それがここで作られていた。

日本の若者に広がる「無感動症候群」

もう数年前のことになるが、学部の講義で日本の真珠湾攻撃に触れる必要が生じ、「真珠湾、パール・ハーバーとはどこにある?」と生徒たちに尋ねてみた。すると、ある女子学生が大真面目な顔をして「三重県」。
私は一瞬、呆気に取られたのだが、彼女は「当たり前でしょう」という顔。「キミ、冗談うまいネ」と言っても、表情を変えない。確信犯なのだ。
私は、こういう学生を相手に、日々講義をしている。
一般的に現在の学生は、歴史と地理に疎い。日本人でありながら、日本地図が自分の頭の中に浮かばない子が、ごく普通にいる。都道府県の名前はもちろんのこと、どこにあるのかも判らない、当然、県庁所在地など知る筈もない…。自国についてさえ、この調子だから、世界地図や地球儀が頭に入っている子は、殆どいない。
その為、何か大きな事件や事故、災害が起きても、その「場所」に対する想像力が働かない。スマホで事件の概要を読み、一騒ぎはするが、直ぐに忘れてしまう。
類似の事件や災害が起きた際に、「チョット前にもこういうことがあったね」と話しかけてもキョトンとしているだけ。スマホ慣用者の常として、物事を「連続した形で把握する」という脳ミソの作業を殆どしていない。全てを一過性の出来事として認識し、直ぐに忘れる。彼らは、「一つの事にいつまでもかまけていたら、世の中の動きについていけないんだ」と言う。
自慢することでもないが、私は世界200ヵ国の国名と首都、日本790の市を全て諳んじていて頭の中の白地図上にロケートできる。
さらに、いまの学生は、好奇心にも乏しい。
「気候変動」というテーマを取り上げ、「温暖化とはどういうことか」、「地球規模で何が起きているか」、「どういう対策が必要か」を問う。そこから、「そのためのグローバルな枠組みは何か」、「それが何をしているか」、「日本はどういう対応をしているか」といったような問題の奥深さ、解決への道が容易ではないことを、順序立て詳しく説明しても、大半の学生が感銘を受けない、感動しない。感動しないから、自ら「もっと深く追求してみよう」という好奇心も起きない。
この「Blank Look Syndrome」 とも言える「無感動症候群」こそが、いまの日本の若者、いやしくも最高学府たる大学に学ぶ者の、偽りない現実の姿である。
近年、日本の大学のグローバルな地位低下が指摘されているが、無感動が招く想像力の欠落は相当に深刻だ。
想像力がなければ好奇心は起きない。まともな問題意識さえ無い、持てない、作れない…。イマジネーションがない者に、何かを新しく「クリエイト」する創造力を求めるのは無理だというものだ。
この背景には、家庭での会話もあろうし、初等中等教育現場で教師がどういう気概・情熱を持って児童生徒に対峙しているか、メディアを含む社会全体が子供たちに「モノを考える習慣」を奨励しているかなど、重なり合う様々な問題がある。少子高齢化が予想以上のスピードで進行中の日本にとって「人材」は一番大切な資源だ。
私達はいま、「真っ当な人材の育成」という根源的なところで大きな高い壁に突き当たっているように感じる。

伊勢志摩サミット
影の功労者「シェルパ」

伊勢志摩サミットは、無事に終わった。
私はこのサミットと呼ばれる行事を、80年代前半から20回以上も現地で取材してきた。久しぶりに現場で見た今年のサミットの印象は、議長国としての日本が珍しくイニシアティブをしっかり取った、という点だ。
日本は、過去に5回、議長国を務めているが、いずれもまとめ役に徹し、主体性に乏しい感じが否めなかった。
しかし今回は、外相や財務相など閣僚レベルでの会議でもそれなりのリーダーシップがとれており、とりわけ首脳会合では、安倍総理の存在感が際立っていた。サミット出席5回目という、日本の首脳として過去の中曽根、小泉両首相に並ぶ最多回数に達した「慣れ」もあるだろうが、それ以上に「シェルパ役」の外務官僚の頑張りが印象に残る。
「シェルパ」とは、サミットが山頂を表すことから、そこに登り詰める案内人として重要な役割を果たす首脳側近の人物を、ヒマラヤ登山に例え「シェルパ」と呼ぶ。実際、サミット準備は、議長国になった年初めから各国のシェルパが集まり、非公式の会合を重ね、サミットで発表する宣言や決議の案文も含め、論議の大筋を決めてしまう。そのため、サミット自体は「ただのセレモニーに過ぎない」とする批判もある。
日本では、経済担当外務審議官がこの役にあたることが多く、今年も長嶺安政審議官がその任に当たった。安倍総理は、長嶺氏に対し、自らの考えを詳細に伝え、シェルパ会合への伝達を強く求めたフシがある。
長嶺氏だけでなく、もう一人の政治担当審議官、杉山晋輔氏にも同じようにサミットへ臨む姿勢を伝えていたと思われる。加えて杉山氏には、オバマ大統領の広島訪問を実現するための根回しも特命として指示していたようだ。
長嶺、杉山両審議官は、総理の意向を忠実に守り、諸般の準備を滞りなく進めた。
特に杉山審議官は、駐米大使館を督励しながら現職大統領として初の広島訪問に向け、「大統領選挙の年に国民感情を徒に刺激したくない」とする国務省や大統領周辺の消極論を巧妙に収束させて実現に漕ぎつけた。
これは傍で見るよりも遥かに難しい工作だったと推察する。その功績により杉山審議官はサミット終了後、外務次官に昇格し、長嶺審議官も駐韓国大使に発令された。

付け加えれば、オバマ大統領の広島訪問は大成功だった。
大統領就任直後の2009年4月、チェコのプラハで「核兵器のない世界」を呼びかける演説を行った際、アメリカ大統領として初めて、唯一戦場で核兵器を使用した自国の道義的責任に言及した。その決意表明により同年、ノーベル平和賞を贈られたのだが、広島での演説はそれ以来、7年ぶりに深い感銘を与えるものとなった。
演説に先立ち、訪問した原爆資料館での記帳で、次のように書き記した。

We have known the agony of war.
Let us now find the courage, together,
to spread peace and pursue a world
without nuclear weapons.

この一件でも明らかだが、発足から3年半余りになる安倍政権は、官僚の使い方が上手になったとの印象が強い。右往左往するだけで、一連の危機に何も対応出来なかった民主党政権との一番の違いも、ここにある。

イノベーション起こす
動機とその継続

民主党政権は、発足当初から、官僚機構の役割を全否定する形で始まった。
日本の官僚の「ソウゾウリョク」(『想像』と『創造』二つの意)の欠如、無謬意識の強さ、それでいて政策実施面では失敗が多く、失敗しても決して反省しない、責任は絶対に取らない。私は、そのような彼らの頑迷固陋な体質に辟易し、強い言葉で批判したことも数多い。さはさりながら、国の行政を引き受ける内閣が、その政策を実施し機能させる官僚機構を全否定しては、ハナシにならない。
あの民主党内閣が組閣とほぼ同時に何をしたか? 官僚機構のトップにあたる人たちが定期的に意見を交換する各省の次官会議をやめさせた。「官僚は何も考えずともよろしい、内閣が指示することだけを忠実に実行すれば良い」と、言ってるようなものだ。子供でもあるまいし、それだけであの巨大な官僚機構が動くと考える感性自体、常識以前の何物でもない。案の定、「ならば、あなたたち政治家が勝手にやりなさい、自分たちは何もしない」と、決め込んでしまった。
もともと民主党に,さほど優れた政策があった訳ではない。それ以前の自民党政権が余りに無能無策だったことで政権が転がり込んだだけだ。それを勘違いして舞い上がり、独りで興奮して独走しようとした…まことに笑止千万と言わざるを得ない。
いま、民主党改め「民進党」というヘンなご都合だけで生まれた政党を軸とする野党連合が、「安倍政権の暴走を止めよう!」などと叫んでいるが、手前たちの独走も相当に酷かったという反省が全くない。
これでは、いまの野党が政権につく日は未来永劫にやってこない、と私は確信する。

その民主党に比べて、安倍政権は、総理官邸の機能を格段に強化することで、官僚機構を自在に操作しようと努めて来た。これはあの小泉政権が始めた官僚操縦術で、安倍政権はそれをさらに深化させた。結果的には、官邸や内閣府に集められた各省の役人たちが、結構その気になって仕事に励むようになった。
与えられた仕事だけをこなすのではなく、彼ら自身がさまざまに発想、政策提案をし、予算執行の新しいやり方を自発的に考えたりするようになった。
安倍総理はじめ、大臣、副大臣、政務官といった政治家の面々も、官僚の発言に率直に耳を傾け、政治家と官僚の対話が成立するようになった。こうなれば、元々、頭の良い官僚たちだ。日々の仕事に身も入るし、失敗も少なくなる。
さらに、官邸や内閣府で日常的に起きるようになった政官対話が各省庁にも波及する、という効果を生んでいる。
むろん、やる気のない官僚が完全に姿を消した訳ではないが、東日本大震災が起きた頃に比べれば、霞ヶ関全体の空気は一変したと言って良い。
ただ、官僚機構というのは、ある空気が定着すると、そこに安住し易いという困った体質がある。常に刺激を与えてイノベーション(革新)を起こす動機を与え続けることが肝要だ。
(次号へつづく)

混乱する世界、迎える大統領選挙 栄光に包まれていた米政権とは・・・(よみタイム2015,12,19号)
2016年は大統領選挙の年である。
 私がアメリカの大統領選挙を間近に見た最初は1976年だった。もう40年も前になる。新聞社のロサンゼルス特派員として赴任した翌年のことで、当時カリフォルニア州知事だった若かりし日のジェリー・ブラウンが民主党の大統領候補指名予備選に名乗りを上げていた。私は、その運動を取材しながら、アメリカの世相と大統領選挙、そしてアメリカの民主主義の実像を日本の読者に伝えようとしていた。
 当時のアメリカは、ベトナム戦争での事実上の「敗北」に続いて、大統領の犯罪・ウオーターゲート事件の発覚で、アメリカ人が好んで口にする「アメリカの正義」が根底から揺らぎ、アメリカ全体が自信を喪失しているように見えた。
 そういう時代認識をベースに質問を繰り出す日本人記者に、ブラウン知事が丁寧懇切に応答してくれたのを覚えている。ただ、この予備選でブラウン知事は勝てなかった。東部ジョージア州で直前まで知事を務めていたジミー・カーターが指名を獲得し、本選挙でも、現職だったジェラルド・フォードを破って大統領に選出された。
 そのカーター政権は、私に言わせれば目を覆うばかりの惨憺たる失政の連続だった。
 経済政策の無策で、市中金利が一時20%を超す(ゼロ金利が世界中を覆う今日では考えられない、高利貸もビックリする)異常な状況を生み、さらにイラン革命後にアメリカの外交官多数が人質となったテヘランの大使館占拠事件にも有効な対策が打てず、苦悩の末に決断した米軍特殊部隊による強行救出作戦は、当然予期すべきだった砂漠の砂嵐を理由に惨めとしか言いようのない失敗に終わった。4年後の選挙で「強いアメリカの再生」を掲げたロナルド・レーガン共和党候補に惨敗して、1期だけの大統領に終わる。
 ついでに言えば、若き日のジェリー・ブラウンは2期8年の任期を全うして知事の座を退いたが、2010年の選挙に再出馬して当選、いま2度目の知事に就任している。
 この76年選挙を手始めに、10回に及ぶ大統領選を、私は何らかの形で伝え続けてきた。2016年は11回目になる。
 この40年間に、大統領選挙も随分と様変わりした。特徴的なのは、予備選レースの時期がドンドン繰り上がって、その期間が長くなったこと。前年の暮れというのに、もはや終盤戦の様相さえ呈している。そして、私が痛感するのは、候補者の質が回を追うごとに劣化していることだ。
 既に民主党はヒラリー・クリントンが一人旅。共和党では、ドナルド・トランプが世論調査の首位を独走している。来年夏の民主、共和両党の大会で誰が指名を獲得するか、まだ判らないが、ワクワクするような本選挙が待っているようには思えない。
 思えば、アメリカが栄光に包まれたのはレーガン政権が最後だった。選挙での公約通り、経済でも外交安保でも本当に「強いアメリカ」を再建し、2期目発足後、ソ連に登場したゴルバチョフとの会談を重ねて冷戦終結に持ち込んだ。
 1990年代のビル・クリントン政権を評価する向きも少なくないが、90年代のアメリカの繁栄は、冷戦終結とインターネットの民生化がもたらしたグローバル化の先頭に立てたお陰であって、クリントンの政策によるものではなかった。クリントンは、良いトコ取りをしたに過ぎない。
 そしてレーガン以後のアメリカ政治は、常にブッシュとクリントンという二つのファミリーに支配されてきた。この両家を「王朝」などという人がいるが、この両家の品格は、到底その呼び名には値しない。クリントン夫妻を一言で言えば、ウソつきで見栄っ張りでカネに汚い。ブッシュ家を一言で言えば、アメリカの、そして世界のリーダーたり得る知性と教養を備えていない、ということになろうか。
 08年選挙でバラク・オバマが当選したが、彼が掲げた「Change」 と「Yes, We Can」の標語は、まさしく看板倒れに終わろうとしている。クリントンもオバマも弁舌は立つが、信義に乏しいか、弁舌を現実化する手腕に欠けている。オバマが輝いていたのは、チェコの首都プラハまで出向いて「核兵器のない世界」を提唱し、その演説だけで、その年のノーベル平和賞を受けた時までだった。アフガンやイラクでの戦争を終わらせるという公約に誤りはなかったろうが、それを現実にして行く過程で、いくつもの過ちを犯した。その結果、中東の現状を見るがいい。アフガンもイラクも、さらにシリアまでが、激しい内戦の渦中にあって、そこに残忍としか言いようのない「イスラム国」まで誕生してしまった。アラブ諸国に広がった民主化への動きを「アラブの春」と囃し立てただけで、細心な後始末をするチエさえなかった。このために、リビアもエジプトもイエメンも混乱の極にある。
 この八方ふさがりとも言える状況を打開すべき次の大統領が、いま名前の挙がっている中から出るようでは、とても期待の持てるものではない。国内はおろか、国際社会で広範な支持を得ることもできないだろう。
 むろん、アメリカにも上等な人々はいる。が、そうした人々の多くが政治家を志すことをしない。間尺に合わないからだ。
 例によって、ナイーブこの上ない日本のメディアは、ヒラリー・クリントンを「アメリカ初の女性大統領」になると期待し、ドナルド・トランプを「不動産王」などと持ち上げる。「アメリカ初の女性大統領」が、何故ヒラリーでなければならないのか、という考察はしない。トランプに「王」と呼べる資格が備わっているかについても検証しない。
 私の見る二人の心象風景は、品性の良くない目立ちたがり屋が、精一杯、民衆を欺いて、自らの欲望を満たそうとしているに過ぎない。二人に共通するのは強烈な自己顕示欲だが、それは、大統領になることが「自分のため」であって、「国家」や「国際社会のため」でないことを明らかに示している。
 5年前に永住権を放棄したが、それを後悔させる政治が、アメリカに戻る気配はなさそうである。
 (敬称略)
日本最新事情:日本は復活できるのか?! ~今後の日本を読み解く~(2013,8,22 ジャパン・ソサエティー主催 講演会内容)
 7月21日に行われた参議院選挙は、自民党圧勝というよりも8か月前まで政権の座にあった民主党の惨敗だった。参議院は、定数が242。自民党の当選は65と選挙前の34からほぼ倍近くに増えた。一方、民主党は選挙前は44議席が半分以下、三分の一近くになってしまった。日本は47の都道府県があり、そのうち31県が一人しか選挙できない。議席が一つしかない県で自民党が29を取った。そして無所属の議員が二人当選。そして残り16の複数区でも実に定数が5人もある東京はじめ、埼玉、京都、大阪、兵庫、宮城の一都二府三県で民主党が議席を完全に失った。かろうじて議席を守ったのが北海道と神奈川、愛知、広島、福岡など一道九県の10議席。それに比例区の方で7議席というような、凄まじい負け方。非改選のまだ生き残っている議員と合わせた新しい勢力が、自民党115、そして自民党と与党連立を組んでいる公明党が20。民主党はかろうじて第二党、二番目の政党だが59まで減ってしまった。議席率で言う自民党の48%に対してちょうど半分、民主党は24%。いずれにしても自民の115、公明の20合わせると135。議席率にして56%で参議院の中での安定多数ということになる。
 それから昨年の暮れの衆議院選挙。両院合わせると自民党の議席は410人でわずか7か月間で議席が倍以上に増えた。一方、民主党は衆・参の惨敗で衆参合わせても116というような非常に悲惨な結果。民主党はもはや二大政党の一角というには力足らず。衆議院では多数を取っていても参議院で多数がないために法案が通らないというようなねじれ現象が完全に解消した。政権政党である自民党としてはここで選挙をやる必要はないわけだから、次の参議院選挙、3年後まではまず国政選挙はないだろう。
 参議院選挙の間中、民主党代表や幹事長、あるいは候補者たちが自民党安倍政権の経済政策であるアベノミクスについて口を極めて罵倒したが、では民主党の政策にマーケットが一度でもポジティブな反応を示したことがあったのか? アベノミクスが危ないと言うが、リスクを取ることはとても大切なことだ。世の中を進歩させるためにはリスクをとることは欠かせない条件だ。グローバル化が進んでいる状況の下では、いわゆる市場原理、マーケットメカニズムというものが世界標準になっている。すべてのことはマーケットが決める。政府が決めるのでもない、企業が決めるのでもない、特定の団体や機関が決めるのでもない。市場原理というのが競争原理というふうに言い換えてられるがその市場を味方にするために非常に厳しい、また激しい競争が国境を越えて繰り広げられている。このグローバル化の進行とほぼ時を同じくしてインターネットという情報処理の手段、これが急速度で全世界に普及した。私たちの暮らしにはインターネットというものは全く欠かせないものになった。


 今日の世の中というのはもうめくるめくばかりのスピードの中で激しく厳しい競争が不断に繰り広げられている。しかもそれが地球規模、グローバルな状況のなかで繰り広げられている。そこでアベノミクスだが、まず第一に思い切った金融緩和をして市場に出回るお金を大量に増やす。これが第一本目。第二には政府がお金を使う公共事業を効果的に実施する。つまり機動的な財政出動。そして三本目として民間の企業や人にお金を使う気を起こさせるような成長戦略を立案してそれを実施に移す。この「三本の矢」で頑固なデフレから脱却をし、日本経済を再生させるというのが安倍さんの言っているアベノミクスだ。
 私自身は去年の9月に自由民主党の総裁選挙で安倍晋三さんが新しい総裁に選ばれたとき少なからずがっかりした。52歳の若さで総理総裁に駆け上った人物だが、小泉さんが自民党内の抵抗勢力だというふうに決めつけていた勢力の主張に妥協を重ねた。今回総裁に選ばれたプロセスがどうもわたしには気に入らなかった。自由民主党の総裁選挙はまず党員・党友が投票する。その党員・党友の投票で一位になったのは石破茂さんだった。安倍さんは第2位。しかも60票差近い大差。しかし石破さん票が過半数に足らないということで今度は党員・党友抜きで、国会議員だけの決選投票になった。そこで安倍さんが逆転勝利した。なぜ党員・党友票をあれだけ集めて第一位になった石破さんが負けてしまったかというと、石破さんはかねてから派閥の長老支配というものには真っ向から反対してきた人。国会議員には長老の顔色ばかりうかがっている議員が結構いる。そういう人たちの票がみんな安倍さん支持にまわって結局石破さんは逆転負けてしまった。票差108対89と僅か19票だが、負けは負け。なんだ、自民党はちっとも変ってないじゃないかと。

 ところがそれから日が経つにつれて「ちょっと待てよと。安倍さん変わってきたな」というふうに思い始めた。それで新しい安倍さんをちょっと見直してみようかなという気になった。その最大の要因がアベノミクスだ。安倍さんは何よりもデフレから脱却。そのためにはこれまでとは次元の違う、大胆な施策が必要であって特に日本銀行に対しては無制限の金融緩和に踏み出すべきであるということを叫び始めた。私はかねてからこの日本銀行にはマーケットとの対話がなさすぎるという不満を非常に強く持っていた。市場との対話がないということが、あの歴史的とまで言われた異常な円高に対して何もできなかった。したがって、デフレを克服することもできない。まさに無策を続けてきた。
 総裁に選ばれた直後から。そして去年の11月18日、民主党最後の総裁となった野田佳彦さんが、国会での党首討論の場で突如として衆議院の解散総選挙ということを口にしたのを境にしてマーケットが動き出した。頑固で動かなかった円高に転機が訪れたのだ。円が安くなり始めたということで、輸出企業をはじめとして株価が急上昇し始めてマーケットが動いた。

 安倍さんは、この衆議院総選挙を日本経済の再生というただ一本に絞って戦った。結果は予想を超えるほどの自民圧勝だった。そして市場の流れは決定的になる。第二次安倍内閣が12月26日、クリスマスの翌日に組閣を完了した。それからの政策展開というのは、見ていても胸のすくようなスピード感にあふれていたと私は評価している。このグローバル化の世の中でスピードというのはまことに大事なものだ。逆にスピード感がないというのは致命的。安倍内閣は、そこでまず違う。スピード感に溢れている。アベノミクスの三本の矢をどうやって実現するのかということで、まずマクロ経済政策の司令塔としては経済財政諮問会議を復活。一方、各論ともいうべきミクロの政策については日本経済再生本部という新しい組織を作った。そしてその中にやはり民間人を含めた産業競争力会議とか規制改革会議というものを設け、そしてそこで具体的な成長戦略を作り出すんだと。こういう、いわば青図を示した。そして、1月7日に官民基金を創設することなどが定められたいわゆる緊急安全対策というものの中身が明らかになっている。それから4日後、事業規模20兆円という、かなり大規模な緊急経済対策が閣議決定になった。4日後の15日には、総額13兆1000億円の補正予算が閣議決定。こういったスピード感の下で財政出動が動き出した。1月22日には政府と日銀が異例とも言える共同声明を出した。そこで、デフレを脱却するために2%の物価目標を初めて書き込んだ。

  デフレ脱却の青写真

 共同声明で、日本銀行は金融資産買入を始めると書き込んだが、始めるのは来年からという。そんな悠長なことではこの急場に間に合うわけないと私は思っていたら、白川さんがいたたまれなくなって任期前に辞めると言い出した。それで今回の黒田東彦総裁が就任した。
 2%という物価目標については、国際標準にしたがってほぼ2年で実現をするとはっきりさせ、金融資産の買い入れはすぐにでも始めると言い出した。大胆かつ次元の違う金融緩和が動き出した。2月に安倍さんはTPP、環太平洋経済協力協定の交渉に参加をするための動きに入る。22日にはワシントンに来てオバマ大統領と会談、衆議院選挙のときに公約にしていたTPPに参加するにあたって聖域なき関税撤廃というものを交渉の前提にはしないという、いわばお墨付きを得ようということでオバマさんと会談した。はっきりどういう話し合いになったのかわからないが、いずれにしてもオバマさんの反応もネガティブではなかった。最終的に安倍さんは、その翌月3月15日に記者会見の席でTPP交渉への参加を正式に表明するという段取りに。これこそが三本目の矢、成長戦略の第一弾だったといえる。

 ただし、この成長戦略についてはあまり評価は高くなかった。マーケットの反応がぱっとしなかった。なぜかというのは、既得権益の排除に対し踏み込み不足だというのが大方の評価。小泉改革が中途半端に終わった最大の原因とされている自民党内の抵抗勢力、とりもなおさず既得権益の沼に首まで浸かりきってその蜜をたっぷり吸いこんでいる、そういういわば業種・業界の代表者、代理人みたいな人たちをどう説得してどう排除していくのか。それは安倍さんの言う規制改革、構造改革をまっとうに実現するしかない。しかもこれがもう最後のチャンスだ。今度失敗してしまったらその機会はもう当分めぐってこないだろう。失敗は、フルスピードで変革を遂げている世界、国際社会。そういう大きなうねりの中で日本だけが取り残されてしまうという選択に他ならない。無論、それを実現するには大変な腕力が必要だろうと思う。しかし、今の日本に求められているのはその腕力と実行力。そうでないとアベノミクスは潰れる。

  正念場の日本経済

 日本の国が抱えている借金、これは6月末の時点でとうとう一千兆円の大台を超えてしまった。正確には1008兆円。消費税を1%上げるというと、大体税収が2兆5000億円増えるというふうに言われているが、デフレが終わらない、景気が良くならない、そういう状況のなかで消費税を上げるということになると、ほかの税収が増えない可能性がある。消費税の増税分2兆5000億円は3%上げると7兆5000億円が入ってくるかもしれないけれども、ほかのところで税収が入ってこなければ何にもならない。繰り返すが、アベノミクスが成功するかどうかということは、それを決める最大無二のカギは成長戦略が機能するかどうかということ。それは、既得権益を排除する規制改革・構造改革、これにどこまで深く踏み込めるかにかかっている。

歴史認識の問題について

 最後に一言、歴史認識の問題について。最近近隣諸国から、日本の歴史認識駄目じゃないかというようなことを言われ、日本がかつての軍国主義に戻るんじゃないかというような危惧までささやかれている状況だ。私は、日本の外交が上手いとか良かったとか言うつもりはない。外交の下手な国だが、日本国あるいは日本国民という民族は、この68年間どう生きてきただろうかということを考えたときに、私は、これほど誠実に生きてきた人種はそうは多くないと思っている。この68年間、日本は銃弾一つ他国に対して撃ったことはない。平和憲法というのを守り続けている。そして、私が長く住んだニューヨークにある国連。ここでもやり方が上手いとは言えないけど、少なくとも国際連合の加盟国としては優等生だ。国連に日本はとんでもない巨額の財政負担をさせられてきた。とにかくアメリカに次いで2番目。アメリカは22%、日本は20%近く負担した。19・625%負担した時代がある。19・625%という数字はアメリカ以外の安全保障理事会の理事国であるイギリス、フランス、ロシア、中国、この4か国の拠出金を足した総額よりもはるかに大きい。
 去年の国連総会の一般演説で、中国の当時の楊外務大臣が口を極めて日本を罵倒した。日本なんてのは敗戦国じゃないかと。戦争に負けた国が戦後の世界秩序を変えようとしているんだ、とんでもない話だ、こういう言い方をした。侵略の再燃ということになってしまった。日本は金を出すだけで平和維持活動なんか何もしていないじゃないかという国際世論が高まると、日本は、憲法9条の制約があるんだけれども一生懸命に考えて考えて、いわば特別措置法みたいなものを作って最近は自衛隊を海外にも出すようになった。

 日本の技術は思いやり

 日本のテクノロジーが新たな形で注目を浴びている。日本の技術は、思いやりの技術だ。日本の、他者に対する思いやりに満ちた技術っていうのは(ほかの国には)ない。日本ほど法の支配が確立している国はない。あの東日本大震災が発生したときに、現場に取材に行った海外の人たちが「あのひどい震災と津波にあって食べ物がない、家もない、着るものもない。そういう被災者たちがですね、じっと列をつくってその行列を乱すことなく支給されるものを待っている。これに非常に強い感銘を受けた」というような記事をたくさん発信していた。そんな民族が、この地球上にほかにいるだろうか。私はね、こういう日本人の美徳というのをもっと私たちが自信を持って中外に言うべきだ。今から日本がかつての軍国主義なんかに戻るはずはないし、その方がいいなんて考えている日本人はいない。私はこのことも中外にむかってきっちりと発言していった方がいいだろうというふうに考えている。すべては日本人がもっと日本という国に自信を持つべきであるということに尽きるのではないかというふうに考えている。
日本総選挙・民主が壊滅的惨敗~自民新政権の経済政策に期待~ (週刊NY生活新年号)
終わってみれば、呆気ないほどの自民党の圧勝だった。大敗した民主党の獲得議席は57。公示前の勢力230議席と比べてもそうだが、3年4ヵ月前の選挙で308議席を獲得していたのを思えば、壊滅的敗北と言うしかない。
 今更振り返るまでもないが、2009年8月30日の選挙後に登場した民主党政権は、日本の政治・経済を著しく停滞させ、国際社会での存在感を著しく低下させ、日本の国益を著しく損ねた、という点で古今東西稀に見る失政の実践者にすぎなかった。
 財源の裏付けもないのに、品性の悪い現金バラマキをひたすら列挙した、マニフェストと称する政権公約の破綻に始まって、外交・安保に関わる酷すぎる無定見と不勉強、中国漁船と海保巡視船の衝突事件や、東日本大震災、歴史的とされた円高などの危機管理で暴露した無知・無能・無自覚・無責任……失政の実例を挙げて行けばキリがない。日本の憲政史に照らしても、恐らく最悪の政権と言えるのではないか。
  物を知らない手合いが救い難いのは、自らの無知無能を自覚しないことにあるのだが、その点でも、この民主党政権は見事なほどに自覚がなかった。
 今度の総選挙に臨むにあたって、野田佳彦首相が好んで使ったレトリックは「政治を前に進めるのか、古い政治に後戻りしてしまうのか、それが問われる選挙……」だった。
 自分たちの政権が、政治を前に進めなかった、進められなかったことを、早々と忘れてしまった物言いではないか。
 野田氏は、政権交代直後から、財務副大臣、財務大臣を務め、この間に財務官僚の財政健全化論をたっぷり浴びて洗脳された。鳩山、菅という最悪に輪をかけたような前任者の後を受けて総理に就任すると、選挙のマニフェストには片言隻句ふれられていなかった「消費税増税」を持ち出し、「政治生命を賭ける」と言い出した。「日本がギリシャのようになってもいいんですか? 財政健全化は、もはや待ったなしなんです」……状況的に間違ったことは言っていない、という自信はあったのだろうが、公約にないことを最優先の施策にすることへのためらいや恥じらいなどは微塵も感じられなかった。
 あげく、自民、公明両党の助けを借りて法案を成立に導く。「政治生命を賭ける」とは、こんなことかと思ったものだった。党内から不満の声が高まったのは、むしろ当然である。
 この人は、あの民主党が大勝ちした選挙のとき「政権政党というものは、言ったことは必ず実行しなければならないんです……言っていないことは、やってはいけないんです」と大声で呼ばわっていたのだが、総理になった頃にはすっかり忘れてしまったらしい。
 政治家の健忘症は、元来、あってはいけない資質・体質のはずである。総理になった高揚感と興奮の中で忘れたのだとしたら、もっと症状が悪い。
 この民主党にあきれ果てた日本人は、当然のことながら多かった。その代表が、「大阪都」の実現を呼号して地方政治に旋風を巻き起こした橋下徹氏である。大阪府民、大阪市民の圧倒的人気に自信をつけたのか、「国政進出」を言い出し、第3極の糾合による国政刷新を叫び始めた。これに呼応したのが齢80歳の石原慎太郎都知事であった。
 「東京も大阪も、尊大傲岸な中央官僚に邪魔されて、やりたいことが半分も出来ない。統治の仕組みを根本から変えよう」……この1点で、二人は結ばれた。「小異を捨て大同につく」とは言うが、二人の国家観、理想像は小異どころではなく見えたのだが、総選挙での多数議席獲得だけが目的としか思えない「日本維新の会」が動き出した。
 これを見て、野田政権の消費増税に反対して、一族郎党もろとも民主党を離れた小沢一郎氏が秘策を練る。行き着いたのは、手近な女性知事を担いで、悪相不人気の自分は裏方に回るという何とも陳腐な手だった。嘉田由紀子滋賀県知事は、初めはその誘いを断ったそうだが、話が表面化してからのたたずまいを見た限りでは、本人が舞い上がっているとしか思えなかった。「日本未来の会」という政党が告示直前にバタバタと立上がった。
 政策は「増税反対」と「卒原発」。
 党本部も党職員も、すべて小沢氏におんぶ。いやしくも政党の代表を標榜するからには、小なりとはいえ手兵ぐらい居て当たり前だが、どこにも見当たらない。そもそも「卒原発」という言葉遊びに中身が全くない。「再稼働は認めない」「20年までに原発ゼロ」と言うからには、その間の電力をどう補うのか、廃炉への道筋と工程表ぐらいは用意してほしいのだが、全く見当たらない。
 「原発ゼロ」については、他にも多くの政党が第1優先順位のように叫んでいたが、道筋と工程表、そして当面の電力供給対策が見えないのはどこも同じだった。総選挙公示前の11月26日には関西電力が家庭向けで平均11・88%、企業向けでは同19・23%という電力料金の大幅値上げを申請したが、原発ゼロ族は一様に押し黙ったままで何も言わない。筆者などは「零細企業はもちろん、中堅・大手だって、電気代に経営の首を絞められる。しかも値上げはこれでおしまいではない、今後もドンドン上がる。とすれば、究極の空洞化が起こり、雇用は失われ、所得は激減する。景気回復など夢物語。それをどう回避するか、ノーアイデアでは済まない。これほどの無責任があるか」と怒り心頭だったが、有権者の関心は、もっぱら景気・経済対策に向いていて、メディアを含めた原発ゼロのヒステリックな叫びが浸透することはなかった。
 毎週金曜日に首相官邸を取り巻く原発反対デモが規模を拡大していたことは事実だが、それに参加しない人々が、正に silent majority だったのだ。
 さてそこで、政権に復帰する自民党に期待出来るか?
 3年前の総選挙での負けっぷりの酷さと、民主党政権の迷走が反面教師となって、体質改善した部分は少なくない。が、昨年9月の総裁選、党員投票で圧倒的優位に立った石破茂氏が、国会議員だけの決選投票で安倍晋三元首相に敗れてしまったのには落胆した。
 安倍氏には、総理在任1980日、約5年半という戦後歴代首相3番目の長期政権を維持した小泉純一郎氏に後事を託されながら、小泉改革の継続も果たせずに1年足らずで投げ出してしまった、あの思い出が甦ってしまう。遊説の姿を見ても、以前の病気が完治したわけではなく、クスリで発症を押さえているだけではないのか、という疑念が消えなかった。
 「もうあの失敗は繰り返しません」という言葉がどこまで信じられるか、答えはすぐに出るだろう。
 危なっかしい安倍氏だが、経済政策を常に前面に押し出したのは正解だった。日銀不信とも言うべき「無制限金融緩和論」とインフレ・ターゲット2%の設定で、民主党政権ではあれほど動かなかった円高が、円安に振れだしたのも事実。殿様顔で、不感症のような日銀総裁には辞めてもらった方がいい。これまで日銀が動いたのは、FED か ECB がなにがしかの行動をした、その後追いでしかなかったのだから、日銀の独立性などハナからないも同然なのである。
 2013年。平成が四半世紀になろうという年、一朝一夕には行かなくとも、日本が、いま一度、存在感を持って国際社会に迎えられる国家になってほしい。そのためには、小泉政権が手を付けながら、中途半端に終わってしまった構造改革を、いま一度、日程に上げて、実現を急がなければならない。あの改革には、官僚の介入や政官業の癒着、そして醜悪な既得権益の剥奪・阻止が組み込まれていたのだから。
嗚呼、中村勘三郎丈 あくまで謙虚に芸道貫く (よみタイム2012,12.21発行号)
 地球温暖化が叫ばれる中、今年の日本は、秋から気温が低めで、12月に入ると、連日の寒波。だが、5日朝は気象現象でない知らせに、全身が凍りついた。
 中村勘三郎さんが、未明に亡くなられたというのだ。

 私が歌舞伎に興味を持つようになったのは、神奈川県葉山町から東京に転居した1950年、小学校5年生のころだった。母に連れられ、歌舞伎座で初めて鑑賞した、その時の出し物の一つが、17代中村勘三郎演ずる「身替座禅(みがわりざぜん)」だった。
 狂言の演目が由来で、太郎冠者が浮気した主人の身替わりとなり、奥方に言い訳するが見破られ、主人がこっぴどくやり込められてしまう…という筋の舞踊で、その滑稽さを巧みに演ずる勘三郎さんの演技に魅了された。
 この時、17代目は41歳。長兄は初代中村吉右衛門、次兄は中村時蔵という梨園の出で、その年1月に、この名跡を襲名したばかりだった。
 当時の歌舞伎界には、大立者だけでも、この勘三郎さん兄弟の他に、9代市川海老蔵(後に11代団十郎)、8代松本幸四郎、2代尾上松緑の3兄弟(父は7代幸四郎)をはじめ、7代尾上梅幸、6代中村歌右衛門ら、名優と呼べる役者がキラ星のごとく並び立っていたから、舞台は常に活気と緊張感に包まれ、観客たちを感動させ、熱狂させていた。
 この時代の歌舞伎を間近に観られた私などは、本当に果報者だと思っている。
 悲報の主である勘三郎さんは、その17代目の長男である。

 誕生したのは1955年5月30日、実父の17代目が46歳の誕生日を迎える二カ月前で、17代目にとっては待って待って待って、やっと巡り来た長男誕生の吉報だった。齢を重ねた後の子は可愛いと言うが、17代目も、この長男を溺愛した。未だ4歳の誕生日を迎える前の59年4月には、もう勘九郎の名跡を与えて初舞台を踏ませている。
 当代勘三郎さんは、この勘九郎という名跡を2005年3月に、やっと18代勘三郎を襲名するまで、実に半世紀近くも守り続けた。
 降り注ぐ父の愛を、息子も正面から受け止め、芸道に突き進んだ。姿形が良くて口跡も父譲りのハスキーがかった聴きやすい声音に明瞭なセリフ回しが重なる、立ち役は良し、女形も良し…何よりも踊りの巧さ、これは抜群だった。

 気がつけば、もう10年近くにもなるだろうか…マンハッタンの「うさぎ」というナイトクラブで、まだ「勘九郎」だった素顔の勘三郎さんと初めて対座した。
 四方山の話が進む中で、勘九郎さんが「ニューヨークで平成中村座がやりたい」と言い出した。
 ハタと膝を打つ思いだった。
 「勘九郎さんにやる気があるのなら、是非おやりになると良い。陰ながらお手伝いはしますよ」
 実際には、公演直前になって、ニューヨークタイムズの劇評家に会い、歌舞伎とは何かを話し、中村勘九郎という役者が、その世界で、どれほど優れた技量と意欲と実力の持ち主であるかを伝えたくらいで、何のお手伝いも出来なかったが、タイムズの劇評は予期した以上の長文の絶賛記事で、リンカーンセンターに仮設された芝居小屋は、連日満員の盛況だった。
 「夏祭浪速鑑(なつまつりなにわのかがみ)」…フィナーレの舞台に、ニューヨーク市警の本物のお巡りさんまで登場させる独特の機知も織り込んで、2004年7月、まだ、あの忌まわしい9・11の記憶が冷め切っていないニューヨークに、清々しい旋風のような印象を残して行った。
 千秋楽がハネタ後の打ち上げの席で「もう一回やりたいなァ」と次なる挑戦に早くも意欲をたぎらせていたのを思い出す。(それは3年後の07年7月、エイブリーフィッシャーホールを芝居小屋風に改装した2度目の平成中村座で実現させた)

 2012年3月。前年11月から浅草・隅田公園で行っていた平成中村座を観たのが、勘三郎さんとのお別れになってしまった。
 思えば、2年前の暮れ、特発性難聴という聞き慣れぬ病名で一時休養を余儀なくされてから、本調子には戻れなかった。11年7月に舞台復帰は果たしたものの、様子見を兼ねた試運転のような状態で、浅草のロングラン平成中村座がハネた後には、食道がんの診断で、再び舞台から消えてしまっていた。
 今年、勘九郎を襲名した長男の話では「8月のアタマに肺炎を起し、重体になった」という。療養の経過はあえて伝えられなかったが、食道がんの手術に12時間もかかったことといい、肺が真っ白に見えたほどの診断といい、想像を超えた重篤な病を抱えていたようだ。
 歌舞伎役者というのは、踊り、走り、跳び、見栄を切り…その上に大音声でセリフも発する…とてつもない重労働である。天性の素質に頑健な肉体、創意と工夫に満ちた舞台づくりと、超人的な活動を続けた勘三郎さんに、天は無情に過ぎる試練を下した。
 歌舞伎界だけでなく、日本の伝統芸能全体にとっても大きな損失であり、当面は埋めようのない空白を作り出した。

 あくまで謙虚で、あくまで愛くるしく、誰よりも歌舞伎を愛し、誰よりも観客本位を貫いた偉大な役者が逝ってしまった。
 今はただひたすら、安らかにお眠り下さい、と祈るしかない。
 合掌。
国際ジャーナリストから見た世界経済、日本経済 (2012,2,13 国際投信 投資運用報告会 講演会内容)
journarismの道に足を踏み入れて丁度50年……うち30年以上を国際報道の最前線で……そしてその大半に当たる 26年という歳月を アメリカをベースに生きてきた。
13年づつ2度……その大半 21年間はNY暮らし……
むろん、この間はNYを base に世界中で起きる様々な出来事、国際会議や、地球が抱える諸問題・課題を取材し、有名無名、数多くの方々に話を伺ってきた……
足を踏み入れた国の数は50超……

さて、この半世紀を振り返ると、1989年という年の印象が際立って強い……
何故なら この年を境に国際社会の秩序が一変ーー
1989年に何が起きた? と言えば 、東欧革命……社会主義国がドミノ倒しに
11月9日にベルリンの壁が取り払われた……

ベルリンの壁が崩壊したのは、当時の東ドイツ政府が旅行の自由を認める、と布告したために、それに狂喜した市民たちが、ベルリンの東西両側から壁を壊し始めた……
それまで、東ドイツ国民には旅行の自由がなかった……社会主義国というのはそういうものだった……
そして、やがてこれは、世界が東西真っ二つに割れていた 冷戦構造 の終わりを象徴する出来事、と言われるようになった……

その冷戦が終わったことで、世界経済からは共産主義/社会主義という理念が事実上消え失せた……残ったのは資本主義……というより、市場経済という体制ーー
しかも、この時代にもう一つ、極めて画期的なことが起きた……
それは Internet の急速な普及……
internet = inter computer network computer は人間業を遥かに超えた大量の情報を記憶したり、処理することの出来る利器……その computer 同士が相互通信する network ……の意
その Internet が情報技術 Information Technology に革命をもたらした = I T 革命

つまり、市場経済 と Internet の世界標準化……
この二つがもたらしたものこそ、今も進行中の Globalization /Global 化……

市場経済とは、市場原理に基づく経済……全てのことは市場が決める……
政府が決めるのでもない/企業が決めるのでもない/誰もが参加できる自由で公正な市場が決める……従ってそこでは競争が生じる ∴ 市場原理 = 競争原理 に置換できる
競争には自ずから勝ち・負けが……従って格差と不均衡は global 化の宿命ーー

Global 化の結果 経済に於ては国境があってない時代、激しい競争の時代が出現……
経済現象は 良いことも悪いことも アッと言う間に世界中に広がるーー
その典型が 2008.9.15 Lehman Shock 後の世界同時不況……
いま国際社会の最大の課題となっているギリシャの財政危機に端を発した欧州の金融不安も、 欧州の経済統合/共通通貨ユーロの流通をGlobal 化が加速し過ぎたことで起きた、と言えなくもない……
では global 化が進んだ結果、何が起きたか? も少し立ち入ってみたい……
第一は、スピード……
Internet が普及し始めた1990年代前半から今日を比べると、通信速度が1600倍に加速…… 
tool となる personal computer の情報処理能力も100倍以上になっている……

この結果 ヒト、モノ、カネ、サービス、情報…… が限りなく real time で動く……
……新しい技術の開発もこの伝達速度に刺激されるから、技術の開発テンポも格段に速くなる……正に 目が回りそうな 、そして人類が過去に経験したことのない変化……
携帯電話に始まったsmart phone の進化をみよ!
携帯電話として始まったものが internet を取り込むことで mail や blog が自在になり、様々な情報の検索が可能になる、ゲームが楽しめる、GPS の力も借りることで、いま居る場所を特定したり、地図を見ることも出来る……しかも、そうした 変化 < 進化 が毎月のようなペースで起きてきた……
導き出されるのは、今起きている不連続の変化でない持続可能性 sustainability の確保……という課題

global 化が進んだ結果、起きたことの第二は、
おカネにおカネを生ませる money 経済が、経済活動の大きな柱に浮上した……
<金融工学> Finacial Engineering という耳慣れぬ言葉も耳にするようになって、新金融商品が次々に開発され、投資の対象も大きく広がったーー
20年も前なら、外国通貨で投資する/外国の債券・証券に投資する などというのは極く限られた人達がすること、という感覚が強かったが、今では極く当たり前のことにーー

しかしその半面、市場のスケールを大きく上回るおカネ……市場のスケールというのは、実際の需要規模を表す……つまり、実需を上回る money が国境を越えて動き回る……

金や原油、穀物といった商品の先物市場に、巨額の資金がいっぺんに投入される……
先物市場は、元々大きい scale を想定していないから、想定超の資金が投入されれば値が大きく動くのは当たり前ーー

Hedge Fund という言葉を頻繁に聞かれると思うが、Global 化が進む中で経済を動かす重要な player になった……

端的に申し上げると、いまの世界はカネ余り……世界の主な国々が揃って金融緩和政策をとっていることで、おカネがだぶついている → おカネに働いて貰いたいと考えている人が、山ほどいる……
と言っても、一般人には、おカネを増やすチエが、そうあるものではない……
そこで資金を運用する専門家に丸ごと預けてしまう……Hedge Fund はその典型……
そういう銀行以外の金融機関を shadow banking というが、そこにあるカネが 60兆㌦にも達している……と、60兆㌦と言えば、日本人が持つ金融資産総額の3倍以上!

Hedge Fund など、他人様のお金を預かって運用する機関は、世界中、どこが儲かりそうな市場か、46時中、文字通り、鵜の目鷹の目 で見張っている……ひとたび獲物を見つけると、客から預かった巨額の資金を一気に投入する!

彼らにとって、相場が上がり相場でなければならない、という理屈はない……
下げ相場であれば、大量の空売りを仕掛けておいて、相場が下がり切ったところで買い戻せば、まだ値が高かった時点の空売りで得ていた代金の相当部分が手元に残る……と言う寸法
今年初めの英経済紙 Financial Times に、中国政府が空売りを支援する政策に乗り出したという記事が出ていた……中央証券借貸交易所という、空売りの材料になる株式などの証券を Hedge Fund や 証券会社などに貸し出す組織を作るのだという……
交易所には銀行、保険、投資顧問会社などが保有している証券を貸し出し、空売りする業者は、手数料を払って借りる仕組み……政府が gamble 経済を奨励する?? 中国政府は事程左様に何でもあり!!

このようにして、市場自体が姿を変えてきた……本来は開放された自由で公正であるはずの市場が時として独走/暴走する……
善し悪しは別にして、これが money 経済 !

global 化が進んだ結果、起きたことの第三は、
1990年代のアメリカに I T 産業という、極めて魅力的な新・産業分野が確立され、第二第三の産業革命と言われるようになって、世界中に広がっていったーー
現在では、 I T というより、通信Communication のCを加えた I CT 産業……
まぎれもない成長分野であり続ける……

そして、第四には、世界経済の構造変化……
一つには、昨年3月の東日本大震災や、秋以降のタイの大洪水で明らかになったように、一つの国や地域で起きた災害や事故の影響が、その国や地域だけにとどまらず、世界中の生産に大きな影響を及ぼす……

世界が狭くなった……と言うが、狭くなっただけでなく、世界全体がもたれ合い or 相互補完の構造に……世界の産業地図、とりわけ製造業の分布が全く様変わり……
欧米や日本といった工業先進国で、多くの工場が、労働賃金や地価が遥かに安い新興経済諸国 に音を立てて流れて行く、空洞化と言われる現象が進んだ……

構造変化はもう一つ、世界経済を統御する player が一気に増えたことも……

2008年9月15日にLehman Shock が起きるまでは、世界経済の問題を取り仕切るのは G7 という先進国の枠組み……アメリカ、日本、ドイツ、英国、フランス、イタリア、カナダ
これが30年以上定着…… しかし もはやG7 では何も決められなくなったーー

従来のG7に成長力の強い新興経済勢力……中国やインド、ブラジル、韓国、オーストラリア、インドネシア、メキシコ、南アフリカ などを加えた19ヶ国 (+) E U ……
G20 という枠組みができ、こちらの方が主役になったーー

しかし、話し合いや交渉事というのは、参加する player が増えれば増えるほど、まとめるのが難しくなる……G20 もその例外ではあり得ない……
G20は2008年9月に Lehman Shock が起きて以降、去年11月のカンヌで開かれた会合まで、3年間に6回の首脳会合を開いてきた……
世界経済を覆っている様々な不均衡について、幅広く処方を出すことになっているが、これまでのところ、目立った収穫は皆無に近い……
いま国際社会最大の心配のタネはギリシャに端を発した欧州の国家債務危機……
問題の震源地である欧州自体もplayer が多過ぎて物事が決まらない……

EU (欧州連合) は冷戦時代の東側諸国をも統合して27ヵ国という大所帯……そのうち
Euro という共通通貨を使っている Euro Zone といわれる地域も17ヵ国……しかし、 これら国々では、使っている通貨は同じだけれど、財政政策は国ごとにバラバラ……
財政赤字は、このくらいにしておこう、というルールが無い訳ではないが、守らなくても、とりあえずは何も起こらない……ギリシャの場合、金融緩和と低金利を良いことに借金を重ね過ぎて返せなくなった……
いまEU では、赤字を垂れ流し続ける政府には penalty を課すという条約を作り、
加盟国の批准手続きに回っているが、いかにも後手後手の感を否めず……

去年11月のG20 直前に開いた EU の首脳会議で、ギリシャが年金の減額や公務員の人員と給与削減など 赤字減らしに思い切ってカジを切ることを条件に欧州の民間銀行が保有するギリシャ国債を半分棒引きにする、などの救済策をまとめたのだが、銀行にとっても、貸したお金を半分棒引きにするのはトンデモナイ負担だから、この半分棒引きは未だ実現していない……

ギリシャが抱える借金は2600?……うち145億? が3月20日に償還期を迎える…… それまでに借金棒引きなどの救済策が実現しないと default といわれる債務不履行が一定の秩序もなくホントに起きてしまう……という極めて緊張した状況……

しかも、この国家債務の危機がギリシャだけでなく、は経済規模が格段に大きいスペインやイタリアにも広がる様相になってきた……
半世紀余という歳月をかけて、やっと辿り着いた欧州統合だが、Euro が導入されてからでは、まだ12年余…… 実際に紙幣や硬貨の流通が始まったのは2002年のことで丁度10年……
Euro がこのまま持つのかどうか、一部企業や投資家は、既にEuroの崩壊や、一部の国が Euro Zone から離脱する事態に備える動きも出始めているーー
ただし、欧州の状況はこれ以上は悪くならないと思う……それは土壇場での人間の英知と底力

さはさりながら、今日の世界が抱えている地球規模の問題は厄介なものばかり……

①富の格差拡大 (それは国と国の間でも、人と人の間でも顕著に……その結果、アメリカではNYを発端に全土に広がる形で、格差是正を求める激しいデモも起きている)
②市場の力が強くなり過ぎて、市場が独り歩きする あるいは 時に暴走して制御困難に  (人も国家も、市場という魔物に吸い寄せられ、振り回され、コントロールが利かなくなっている)
③かつては栄華を誇った先進工業国が、空洞化という現象に直面、国民の雇用と所得の維持、つまりは経済成長の維持に厳しい対応を迫られる……

元をただせば、これらは全て、Global 化が招来した……と言えなくもない……
それなら Global 化なんか止めてしまえば良い、と言われるかも知れないが、そうは行かない……
Global 化は、もう国際社会の隅々まで浸透し切って、国際社会の生理になっている……後戻りの出来ない…… 市場経済に変わる新しい理念も見当たらない……

とすれば、現代を生きる私たちは Global 化がもたらすプラス面もマイナス面も、
起こるべくして起きた現実として受け止め、それに対応して行く他ない……

そこで、いま日本は何を為すべきか/今日の世界でどういう役割を果たすべきか?

先に、こういう時期に必要なのは sustainability 持続可能性だと申し上げた……
いま日本が問われているのも、まさに 日本自身が、どう生き延びるか? 

その為には日本の国益が何か? という根源的な問題に回答を出さなければいけない……その前提として、日本が抱える課題を整理しておく必要があるだろう……

まず、いまの日本が直面している課題を上げて行くと…… 
▼第一に少子高齢化……これ自体はアメリカを除く先進国に共通した現象だが、日本の場合は、スピードが並外れて速い…… 最近発表された人口動態の予測によれば、65歳以上が来年25%、2025年には30%超…… 生産年齢人口が減る = 税金を納める人が減って、税金の受益者が増える ∴大問題

▼次に国家財政の赤字が極限まで膨らんで、3月末には国の借金が確実に1千兆円を超える……財政健全化への道筋をどう作り、世界の市場に示すかが問われている、

▼そして最も最近の、かつ喫緊の課題として、東日本大震災からの復興と、福島第一原子力発電所事故の収束を急がなければならない、

▼さらに、日本企業を取り巻く環境が、歴史的な円高や、電力の供給不安、電気料金の値上げなど 新たな条件も加わって6重苦、7重苦 という極めて深刻な状況に直面している……

これらは、どれ一つを取ってもトンデモナイ難題……しかし、これらの難題を克服しなければ、我が日本に未来はない! 難題克服こそが国益につながる……

そして、これらの難題を全て同時に解決する道は、日本をもう一度経済成長の軌道に乗せるしかない…… 極く簡単に言ってしまえば、
経済のパイを大きくすることで、雇用を広げ、所得を拡大し、税収も増やす……

実を言うと、昨年 3.11 の東日本大震災が起きた直後には、
震災の被害自体は大変痛ましいし、被災された方々への救援は十分に手厚くすべきだけれども、震災復興に投じられる巨額の資金によって日本経済が反転攻勢に出るキッカケをつかめるかも……去年後半からV字回復するのでは? そう考えた……

ところが間の悪いことに、スピード感が丸でない政治のお陰で、この願いは雲散霧消してしまった……政治の悪口を言うのが主旨ではないが、事実は事実!

いいですか? あの震災が起きてから間もなく丸1年が経つのですよ!
復興庁という復興を司る大元になる役所がやっと出来たのは先週金曜日2月10日!
震災が起きてから丁度11ヵ月、いくら何でも遅過ぎるではないか……

交通・通信はじめ社会のインフラが今より遥かに劣っていた大正時代の関東大震災で 帝都復興院ができたのは、震災が起きた9月1日から一月も経たない9月27日……

17年前の阪神・淡路大震災でも、復興対策本部に関する法律は約1ヶ月後の2/24には成立……

被害の規模からして、また、福島第一原発の過酷事故も併発したことに鑑みても、
抜く手もみせぬ速さで 矢継ぎ早の対策を打ち、予算措置も講ずる……というのが、
本来あるべき姿だったが、実際は呆れるばかりの決断のなさ、遅さ、先送りーー

復興庁が出来なかっただけではない、予算措置も超のつく slow motion ……
第一次補正予算が成立したのは5月2日だったが、その規模は1兆8704億円……
第二次補正は7月25日成立、これも1兆9988億円……冗談ではないか、と思う少額……
第三次補正でやっと11兆7000億円が組まれたが、この成立は11月21日……

昔、太平洋戦争の形勢を変える戦になったガダルカナル島の攻防戦で、巨大な兵員物量を投入した米軍に対し、日本軍は、兵力兵站の逐次投入という愚を犯して負けてしまった……それと同じ事を繰り返し
こうした非常時の政策は、小出しにチビチビはダメ、announce 効果も含めドーンとやることが肝要  Obama 大統領が2009年の就任直後に打ち出した景気対策は7840億㌦、78兆円超……

さらに不満なのは、今の政府に、実効性のある経済成長戦略がないこと……
実質2%、名目3%の成長を実現する、などと言っているが、それを実現出来る政策、具体策はない!

☆成長を実現するには、何よりも規制の撤廃や緩和など、日本経済の思い切った構造改革を早急・果断に進めなければならない……それによって経済の風通しを良くする
誰もが起業機会を持てる、新規参入を図るものを既成業者が排除しない、一度失敗した人にも再挑戦の機会を保障する……新しい産業分野を作り上げる……

☆同時に、日本企業が国際市場で、他の国の企業に売り負けない、買い負けない……
競争に負けない条件を整えてあげなければいけない……去年は31年ぶり貿易赤字 2.5兆円
ところで、あれだけの大事故を起こし迷惑の限りを撒き散らした東京電力という会社が、この4月から電気料金を17%も値上げするという……

日本の電気料金は、私が長く暮らしたアメリカと比べると、実感として2倍以上……世界有数の高い電気代……製造業空洞化の一因が、この高い電気代にあると言われても仕方ない……それを、さらに17%も上げる……企業の負担増は4千億円?
ただでさえ、歴史的な円高などで海外移転を考えざるを得ないとしている製造業に、どうぞ、もっと外に出て行って下さい、と言ってるようなものではないか?

とにかくいま、喫緊にやらなければいけないことは、日本の持つあらゆる資源、技術、アイデア、勤勉性を総動員して、日本が持つ潜在力をフル稼働させること……

歴史的とされる円高対策については、間欠的に気が触れたように、しかも単独でする市場介入は殆ど役に立たない!
繰り返して申し上げるが、市場というのは、善意・悪意取り混ぜて、欲の塊のようなシロモノ……
言うことを聞かない生き物 と同じだから、時に宥め、時には厳しい顔も……そうして、こちらの意図に馴らす工夫が必要……

ところが 日本の場合、財務省にしろ日銀にしろ 市場との対話という努力が不足……
アメリカや欧州の中央銀行総裁が不断に市場向けの発言をしている……

そして、市場の判断が不合理極まりない状況下では、日本が一方的な為替規制に乗り出す選択もあり得る……
アメリカや欧州が、仮に今の日本のような立場に追い込まれたら、必ず巧妙な言い訳を設けて乗り出す筈だから……
現に1971年の Nixon Shock (他国通貨と固定相場を決めていたドルの金交換停止→固定相場制の崩壊) 1985年にはプラザ合意で極端な円高へ

もっとも、先月末 Wall Street Jounal という米経済紙がこんな予測記事を掲げた……
日本の円高に終わりが近づいた……という……
その論拠は、日本企業による在外資金本国還流…… repatriation ……の枯渇……

震災直後には、震災被害の保険金支払いで欧州の再保険会社などから大量の資金が日本に流れ込む一方、海外に進出している日本企業がリスク回避、手元流動性確保のために大量の資金を repatriate した……それが円高をもたらしたというのだが、もう日本に戻す資金が無くなりつつある……
さらに最近の潮流は、日本の生保会社や年金基金が国外の資産を買いたがっている……
その規模は極めて大きいから、それだけでも長期的には円の大幅下落を促す要因になり得るのだが……
それに加えて、日本は昨年貿易赤字を計上……人口の高齢化も進み、さらに先進国中最大の財政赤字という 三重の弱点 triple defect がある……そこへ原油や液化天然ガスなど資源価格の上昇が加われば円安への潮流変化が誰の目にも明らか……という論旨ーー
日本の弱点が炙り出されてはいるが、不合理な円高が収まる点だけは朗報?

先に少子高齢化の問題を提起したところで、アメリカは高齢化の例外、と言ったが、
いまアメリカの就労人口は約2億3800万人…… うち16?64歳までの生産年齢人口1億6400万人に対し、65歳以上のいわゆる高齢者は 3870万人で16%チョット、

とすれば、働いている高齢者は極く少ないと考えがちだが、決してそうではない……
65歳以上で労働人口に数えられている人の数は670万人超、この年齢層の就労人口の17% 超…… 法律で年齢差別を禁じ、定年制は違法
70歳以上でも292万人、75歳以上でも130万人が労働市場に組み込まれている……
この中には、家業として農業をしていたり、独立自営している弁護士や会計士、パパママ・ストアと呼ばれるような零細な商店をやってる人は含まない、国全体の労働統計、つまり失業率の計算に上がってくる人たち……

日本の場合は2009年の統計で、65歳以上の就労者が565万人いたが、70歳、75歳以上となると格段に減ってしまうのではないか?  そういう統計が無いので判らない……
 
フルスピードで高齢化が進む日本こそ、高齢者の労働力をもっと活用すべき……
第一に、この世代は、世界を刮目させた高度経済成長の柱として働いてきた層……
極めて豊かな経験と know-how、skill を蓄積、それを活用しない手は無い……
第二に、国際社会で、日本の労働市場は硬直的 と批判されることが多いが、それを   緩和する材料にもなる……

一方、少子化対策については、子ども手当であれ児童手当であれ、バラマキで子どもが増えるとは到底思えない……
これも経済成長を実現して、若い人たちに将来への期待感と希望を持たせること……
安定した雇用と所得、安心できる社会保障、教育の改革と充実……そして 若いお母さんが育児に忙殺されて働きに出られない……などという先進国にあるまじき悪条件の撤廃……つまり、保育施設を思い切って拡充する……

原発をどうするか? これも大問題だが、政府の姿勢がどうにもハッキリしない……
定期検査などで運転を止めている原発については、安全性が確認されたものから早期に運転再開を促す必要……関電大飯原発3, 4号機には stress test, IAEA とも GO サイン

いま日本にある54基中、稼働しているのはたった3基、今月20日には関西電力の高浜3号機が止まる、来月には東電・柏崎刈羽6号機、そして4月には北海道の泊3号機も……
これで全て停止! その一方で電気料金は大幅値上げ……
産業の息の根が止まっても良いのか?

将来的に原発をどうするか? についても 性急に 原発はもうヤメ という結論を出すのではなく、多角的・多方面の見通しを網羅した議論の上で決断して欲しい……

抑々 日本の持つ技術力に、もっと自信を持っては如何? その水準は今でも非常に高い

現に今日の世界には、日本の原発技術に期待して本体そのものや、技術を輸入しようという国が少なくない……
トルコが然り、ベトナムが然り、インドも強い関心、リトアニアとは建設の仮合意まで出来ている……この合意はやがてバルト3国全てに及ぶだろう
こうした国々は、福島の事故で日本の原発は世界一安全になると信じている……
日本人は几帳面だから、きっと世界一安全な原発を作るに違いない……という期待
こうした国々のためにも日本は、技術をキッチリ維持し、高めなくてはいけない……

脱原発 という現在進行中の議論には 羹に懲りて膾を吹く の嫌いを禁じ得ないーー
最後に国家財政について……
いま私たちが直面している状況は、危機ラインとか、待ったなし、という次元をとっくに通り越している……
ギリシャが直面しているような危機は突然にやって来るーー
単年度とは言え、2兆5千億円もの貿易赤字を出し、経常黒字も4割以上の大幅減となった日本としては、国債の信認が一瞬にして失われる事態をそろそろ覚悟しなければいけない……
小泉政権の時代に、2012年までに primary balance をゼロにする、という公約があったのをご記憶か? その通りなら、来年度にはゼロになる筈……
primary balance は、ご存じと思うが、国債などの元利払いを除いた歳出と、税収の差……つまり、純歳出が税収を上回れば借金がさらに増えてしまうが、差がゼロか黒字になれば、将来に向け国の借金を減らす算段も見えてくる……
これが、小泉以後の政権によって無視され続けた結果が今日の有様……

このところ問題になっているTPP……このような枠組みに日本が積極的に入るのは結構なことと思う……
農業が壊滅する? そんなことはあり得ないし、そんなことにならないよう、農業の再生を本気で進めなければならない……

去年秋の国連人口白書は、世界全体の人口が70億人を超したと発表…2050年には100億に達するかも知れない、という……となれば、間違いなく食糧不足が起こる……
いま日本の食糧自給率は40%と言われる……ということは、60%を輸入していることになるが、いずれ、日本に売る食糧がない、という時代が来るかも知れない……
知れない、ではなく、来るのだーー

国連の気候変動について調査研究している国際パネルが新しいリポートを発表……
地球上では温暖化に伴う異常気象の増加で、大旱魃や大洪水が起こる可能性が高まっている、と予測……食糧生産の制約材料になる自然災害が多発しそうだ、ということ……

となれば、TPPに入る/入らない、の議論以前に、日本は強い農業、自給できる農業を持たなければならない。農業を何としても再生させる必要がある……
そのためには、様々な規制の緩和や撤廃、今の日本農業を支えている構造自体を見直さなければいけない……
TPPがアメリカの謀略、などという説については、まともに相手にする気にもならない……

とにもかくにも、日本の国益は大局観を持つことからしか感知し得ない……大局観に立った生き残り戦略を立てるしかない……
その国益を守って行くには、国際社会の動向を注意深く見つめ乍ら、世界全体の流れの中で、出来るだけ多くの共感を呼ぶ対応策を講じて行くことに尽きる……のだと確信
世界一なでしこの一押しは宮間あや、ロンドンでの活躍にも期待 (よみタイム 2011,12.23  2012年新春特大号掲載)
2011年の日本スポーツ界を振り返ると、何といっても印象深いのは「なでしこジャパン」のワールドカップ・ドイツ大会制覇だ。
 並の感動ではすまない、金字塔と言って良い快挙だった。W杯制覇の余勢を駆って、今年のロンドン五輪の出場権も、当たり前のように手中にして見せた。
 世間は、沢だ、川澄だ……とはしゃいだが、私は一番の功労者は、宮間あやというミドフィールダーだと思っている。
 独りよがりでない証拠に、AFC(アジアサッカー連盟)は、2011年の女子最優秀選手に彼女を選んだ。専門家はチャンと見ていたのである。
 身長157センチと、決して体格には恵まれていない彼女だが、何故それほど優れているかというと、ミドフィールダーとしてゲームを作り、攻撃面で司令塔をつとめ、守備面でも周到な心配りをする……といった並の優秀さを、遥かに超えているのである。右足でも左足でも、同じように極めて精密なキックが出来る能力、という点で、他の女子選手の追随を許さないばかりか、多くの男子選手をさえ凌駕するモノを持っている。
 その正確なキック力は、ゲームの展開の中でも、またセットプレーでも存分に顔を出す。W杯決勝、延長の大詰めでアメリカに追いつく沢の貴重な決勝ゴールを呼んだのが、彼女のコーナーキックだったことを覚えておられる方も多いだろう。長身ぞろいのアメリカ相手に、フワッと浮いたようなキックは打てない。そこで彼女は、グラウンダーに近いくらいの速いボールを、走り込むであろう沢の動線にピタリ合わせて打って見せた。それをダイレクトで合わせた沢の能力も大したものだが、あの土壇場で、あれだけ正確なキックを冷静に打てる宮間の能力は、間違いなく世界のトップだ。
 この決勝戦では、後半終了近い時間帯に自ら得点して同点にしている。しかも、得点直後にはネット内から直ぐにボールを拾い上げて帰陣、味方としてはさらなる得点を、相手チームには勝ち越し点を上げる時間を与えた、として、そのフェアプレイ精神に称賛が集まった。まさに日本中が誇り得る選手であって、大会を通じては、2ゴール4アシスト、W杯の最優秀選手でもあっただろうが、その栄誉は沢に譲った。
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 宮間は、千葉県大網白里町の出身。父親は、いま町会議員をつとめているが、若い頃はサッカーの選手で、習志野高校で全国制覇をし、Jリーグ発足前の読売ヴェルディでプレイした経験も持つ。
 学齢期を迎えた頃から、その父親の手ほどきでサッカーを始め、小学校5年生になると、国際交流イベント「国際社会で活躍できる日本人の育成」に応募、数次にわたる選考の末に親善大使の金的を射止め、アメリカ・サンディエゴでの試合を経験した。
 そうした才能が最初に花開いたのは、2007年のW杯中国大会だった。イングランド戦で試合終了間際に直接フリーキックを決めるなど大活躍、ベスト11に選ばれただけでなく、「サポーターが選ぶMVP」の栄誉にも輝いて特別表彰された。
 2009年からはアメリカに活躍の舞台を移し、ロサンゼルス・ソルスで開幕から全試合に出場、リーグ・トップタイのアシストを記録するなど、同チームのレギュラーシーズン優勝に貢献。2010年は、チーム事情からセントルイス、アトランタと移籍を重ねたうえ、シーズン終了後、なでしこリーグの岡山湯郷に復帰した。
 前述のAFC年度最優秀選手の表彰式では、キチンとした英語で挨拶をし、また、W杯の優勝決定直後には、歓喜を爆発させるチームメイトをそっと離れ、放心状態のアメリカチームの輪の中から旧知の選手に声をかけて健闘を称えあう優しさも見せた。
 その映像はFIFA(国際サッカー連盟)の公式サイトで、最も頻度が高く閲覧されたという。
 この1月28日で27歳ーー円熟の境に入る宮間の今年にも期待が高まる。とりわけ、ロンドン五輪で再び頂点を目指す「なでしこ」の司令塔として、おっとりしたポーカーフェイスには似合わない、切れ味と凄みに富んだプレイを見せてくれるに違いない。
今こそ国益最優先の政策を (週刊NY生活 2011.1.1 新春特別号掲載)
民主党政権が成立してから、日本を何処に導こうとしているのか、方向が全く見えないとの批判が多い。それは、彼らの胸のうちに日本の国益が何であるか、明確な思いがないからではないのか。
 新しい年の初めにあたって、私なりに、日本がいま緊急に為さなければいけないことについて考えてみたい。
 国益とは文字通り、国の総合的利益であって、一つの業界、業種、あるいは特定地域の利益ではない。増してや、中央政府の各省庁やその中の局や部課の利益でないことは言うまでもない。国全体として、より良く生き延びて行くために 何が 必要で何が必要でないか、大局的見地から、しっかり見極めることが必要である。
 その前提として、いまの日本を取り巻く環境や課題を整理する必要があるだろう。
 まず、いまの日本が直面しているのは、少子高齢化だ。
 次に、国家財政の赤字が極限まで膨らんで、今年度末には国の借金が確実に1千兆円を超える、財政危機、財政再建の問題。
 そして最も最近の、かつ喫緊の課題として、東日本大震災からの復興と、福島第一原子力発電所事故の収束を急がなければならない。
 さらに、日本企業を取り巻く環境が、歴史的円高や、電力の供給不安など、新たな条件も加わって、6重苦 という極めて深刻な状況に直面している……もっと細部にこだわれ ばキリがないが、日本人のほぼ全てが肯け得る課題はこんなところか?

 まず少子高齢化……と言っても、高齢化が進むのは、医療技術や設備、携わる人の力が向上し、人々が健康になった証しだから、これに歯止めをかけてはいけない。従って、少子化を止められるか? という問題になる。
 今の民主党政権は、社会全体で子供を育てるのだとして、具体的には子ども手当支給という政策をとっている。確かに経済の不安定、先の見えない不安が、子どもを作り育てる意欲を阻害していることは認めるが、手当を無差別にバラマクのは一番原始的かつチエのない方策だ。
 それ以前に、確固とした成長戦略を定めて、若い人たちの将来に何か良いことが待っているという期待感を持たせること、平たく言えば、安定した雇用、安心できる社会保障、教育費の低減化、さらには、若いお母さんが育児に忙殺されて働けない、などという先進国にあるまじき悪条件の撤廃、つまり、保育施設の拡充強化が必要であろう。
 次に、国家財政は後回しにして、震災復興と原発事故対策を先に考える。
 これまでの政府の対策に一貫して、かつ一番欠けていたのはスピード感だが、内閣が菅さんから野田さんに代わってもスピードが増したという実感は殆どない。
 特に急いで欲しいのは、災害地に経済特区を設け、税制優遇など様々なインセンティブをつけ、言わば超法規で企業を誘致して地域経済の復興再建を急ぐこと。
 特区は、農業や漁業にも有効な筈で、過去の農政や水産行政が出来なかった革新的な方策を実現に移す。それは、日本全国の第一次産業再生にも重要かつ有効な道筋を、必ずや示すことになる。
 原発事故については、既に出来ている工程表の実現を急ぐほかに、甚大な被害受けた福島県に原発事故対策に関する包括的なセンターを早急に造って欲しい。
 それと同時に、いま運転を止めている全国各地の原発については、安全性の確認が取れたものから早期に運転再開を促すことも重要だ。
 将来的に原発をどうするか? については、性急に結論を出すのではなく、多角的・多方面の見通しを網羅した議論の上で決断すること。
 日本の持つ技術力に、もう少し自信を持っては如何? それは今でも世界最高水準にあり、現に日本の原発技術に期待して、本体そのものや技術を輸入しようという国が少なくない……トルコが然り、ベトナムが然り、インドも強い関心を寄せている。
 こうした国々は、福島の事故で日本の原発は世界一安全になると信じている。そういう国々のためにも日本は、この技術をキッチリ保持し、高める努力をしなくてはいけない。脱原発 という現在進行中の議論には <羹に懲りて膾を吹く>の嫌いを禁じ得ない。
 企業の6重苦をどう解消するか? 短期間に解消するのは難しいと思うが、国として、努力すべき方向性だけは見失って欲しくない。
 まず円高対策だが、間欠的に気が触れたように、しかも単独でする市場介入は殆ど役に立たない。財務省にしろ日銀にしろ、市場との対話という努力が皆無に近い。特に日銀だ。アメリカにしても欧州にしても、中央銀行総裁が不断に市場向けの発言をしている。いま急にやれといっても、市場が言うことを聞いては呉れないだろうが、日銀総裁といえば、日本の公共機関の中で最高報酬を得ている人、少しは待遇に見合った貢献をして欲しい。
 そして、市場の判断が不合理極まりない状況下では、日本が一方的な為替管理に乗り出す選択もあり得る。アメリカや欧州が同じ状況に立たされた時には必ず言い出す筈だからである。
 最後に国家財政について……。
 いま私たちが直面している状況は、危機ラインとか、待ったなし、という次元をとっくに通り越している。
 小泉純一郎政権の時代に、2012年までにプライマリーバランスをゼロにする、という公約があったのをご記憶だろうか? その通りなら、来年度にはゼロになる筈だった。
 これが、小泉以後の政権によって無視され続けた結果が今日の有様である。
 しかも、民主党政権は、ムダ遣いを減らす、予算の組み方がおかしいんだ、と公言して政権を取ったのに、政権を取った直後から、自民・公明政権の時より歳出の額自体が大幅に増えている。
 民主党の下で予算が作られた2010年度から2年続けて税収を上回る純歳出を計上して国債発行をしているが、こんなことは日本財政史の中で、戦争に負けた翌年、昭和21年に一度あったきりだ。それを2年続けてしまったうえに、増税が間に合わない来年度も同じことが起こるのは間違いない。実に3年続きになる。沙汰の限りである。
 財政を健全化する最大の妙薬は、経済成長戦略、これしかない。経済のパイを大きくすることで税収も大きくなるからだ。
 民主党の経済成長戦略に一番欠けている視点は、規制撤廃や規制緩和などの構造改革を進め、経済の風通しを良くすることと、誰もが起業機会を持てる、新規参入を図るものを既成業者が排除しない、一度は失敗した人にも再挑戦の機会を保障する……機会均等の原則を徹底することで、経済活動、企業活動、消費者の購買意欲を活発にするという政策である。
 同時に、日本企業が国際市場で、他の国の企業に売り負けない、買い負けない、つまり、競争に負けない条件を整えてあげなければいけない。そのために、TPPのような枠組みに日本が積極的に入るのは結構なことと思う。
 農業が壊滅する、という主張があるが、そんなことはあり得ないし、そんなことにならないよう、農業の再生を本気で進めなければならない。
 最近、国連が人口白書を出して、世界全体の人口が70億人を超したと発表、2050年には100億に達するかも知れない、という。となれば、間違いなく、食糧不足が大きな問題になる。
 いま日本の食糧自給率は40%と言われ、60%を輸入していることになるが、いずれ、日本に売る食糧がない、という時代が来るかも知れない……知れない、ではなく、来るのだ。
 しかも、国連の気候変動について調査研究している国際パネルが新しいリポートを発表、地球上では温暖化に伴う異常気象の増加で、大旱魃や大洪水が起こる可能性が高まっている、と予測。食糧生産の制約材料になる自然災害が多発しそうだ、という。
 となれば、TPPに入る・入らないの議論以前に、日本は強い農業、自給できる農業を持たなければならない。農業を何としても再生させる必要がある……これも待ったなしの課題であり、そのためには、様々な規制の緩和や撤廃、今の日本農業を支えている構造自体を見直さなければいけない。
 TPPがアメリカの謀略、などという説については、ハナから相手にする気にもならない。
 とにもかくにも、日本の国益は大局観を持つことからしか感知し得ない。大局観に立った生き残り戦略を立てるしかない。その国益を守って行くには、国際社会の動向を注意深く見つめ乍ら、世界全体の流れの中で、出来るだけ多くの共感を呼ぶ対応策を講じて行くことに尽きるのだと確信している。
中日新聞夕刊(5/2記事)
ビンラディン容疑者死亡についてのコメント 
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名古屋外国語大の内田忠男教授(国際関係論)は「9.11テロから十年目にやっと行き当たったということで、遅きに失した。米国にとっては一つの朗報であっても、地球全体にとっては必ずしもそうではなく、安定に向かうとは思えない」と話した。「米軍の攻撃で殺害されたなら逆に、敵討のような大きなテロを招くこともあり得る。警戒が必要だ」と指摘し「イスラム原理主義者やテロリストのグループの中で際だったリーダーがいなくなったことになり、今後再編に向かうのか、注視しなければならない。西側陣営への怨根は極めて深く、これで平和になるとは思えない」と今後の影響を心配した。

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